鍋谷グラス工芸社「黒華」と「氷晶」|花と氷、二つの江戸切子

花を表現した「黒華」と、氷を表現した「氷晶」。

どちらも、東京・大田区の鍋谷グラス工芸社で、4代目の職人・鍋谷海斗氏が手がける江戸切子です。

同じクリスタルガラスを使い、サイズも高さ約100mm、直径約70mm。

それでも、完成した姿は大きく異なります。

黒華は、細密な伝統文様と大胆なカットから「華」と「棘」を描く。

氷晶は、ガラスそのものを氷の塊のように見せる。

二つを並べると、江戸切子が単に文様を刻む工芸ではなく、カットによって素材そのものの見え方まで変えられる表現であることが分かります。

黒華|「美しい華には棘がある」

黒華の根底にあるのは、

「美しい華には棘がある」

という考え方です。

鍋谷海斗氏にとって、黒華は自身で初めてデザインしたオリジナル作品でもあります。

大きく重なる葉のようなカットの中に施されているのは、江戸切子の伝統文様である「八角籠目」と「菊つなぎ」

大胆な形の内側へ、非常に細かな文様が入り込んでいます。

力強い輪郭と、繊細な切子。

その対比が、黒華の印象をつくっています。

覗き込むと現れる「華」と「棘」

黒華は、正面から見るだけでは完成しません。

グラスを上から覗き込むと、複数のカットが重なることで、花が開いたような姿が現れます。

さらに底面に施されたカットは、光の屈折によって棘を思わせる形として見えてきます。

つまり、「華」と「棘」が単純に隣り合って彫られているわけではありません。

見る角度や、光の入り方によって初めて現れる。

持つ。回す。覗き込む。

そのたびに、同じグラスの中から違う景色が見えてきます。

黒華という作品は、平面の文様だけを見る江戸切子ではなく、ガラスの厚みや屈折まで含めて成立している作品です。

氷晶|ガラスを、氷のように見せる

一方の「氷晶」が表現するのは、その名の通り氷の結晶です。

大きく削られた面。

その間を走る、氷の亀裂のような細いカット。

さらに細部には、江戸切子の伝統文様である菊つなぎが使われています。

大きな面では氷の塊を。

細かな菊つなぎでは、その内部に生まれる結晶を。

スケールの異なるカットを重ねることで、一つのグラスの中に「氷」という景色をつくっています。

「内被せ」が生み出す、氷の奥の色

氷晶で特に特徴的なのが、「内被せガラス」です。

一般的な色被せガラスでは、透明なガラスの外側に色ガラスを重ね、外側からカットして色を削っていきます。

氷晶は、その逆。

透明なガラスの内側に色ガラスを重ねています。

そのため、外側を深く削っても、内部にある色そのものは残ります。

透明なカット面のさらに奥から色が見える。

この構造によって、まるで氷の内部に色が閉じ込められているような奥行きが生まれます。

鍋谷海斗氏は、この内被せを用いる理由について、カットを入れても色が失われず、その色を生かした表現ができる点を挙げています。

氷晶では、色を削って模様を出すのではなく、透明なガラスを削ることで、その奥にある色を見せる。

そこが、一般的な色被せの江戸切子とは大きく異なります。

決められた線ではなく、ガラスを見ながら切る

氷晶の制作方法にも興味深い特徴があります。

まず、大きな面を削り出す。

その後、そのグラスを見ながら、どこへ氷の亀裂のような線を入れるかを考える。

鍋谷氏は一部の作品について、決まった図面通りにすべてを切るのではなく、そのガラスを見ながら、最も美しく見える場所へ線を入れていくと語っています。

つまり、一見すると自然に割れた氷のように見える線も、偶然ではありません。

規則正しい江戸切子の技術と、職人自身の感覚。

その両方が一つのグラスに入っています。

黒華は「見る角度」を変え、氷晶は「素材の見え方」を変える

黒華と氷晶には、共通する部分があります。

厚みのあるクリスタルガラス。

深く大胆なカット。

そして、八角籠目や菊つなぎといった伝統的な江戸切子の技術。

けれど、その技術の使い方は異なります。

黒華は、見る角度によって華や棘を現す。

氷晶は、内被せと深いカットによって、ガラスを氷のように見せる。

一方は、光と視点によって姿を変える作品。

もう一方は、素材の構造そのものから新しい質感をつくる作品です。

同じ職人が、同じガラスという素材から、ここまで異なる表情を引き出している。

二つを並べて見る面白さは、そこにあります。

4代目・鍋谷海斗がつくる江戸切子

鍋谷グラス工芸社は、1949年に東京都大田区で創業しました。

現在は、3代目で伝統工芸士の鍋谷淳一氏と、4代目の鍋谷海斗氏らが制作を続けています。

海斗氏は1994年生まれ。

2016年にカガミクリスタルへ入社し、2018年に鍋谷グラス工芸社へ入りました。

その後、江戸切子新作展では2021年から2023年まで3年連続でテーブルウェア部門の金賞を受賞しています。

鍋谷グラス工芸社が掲げるのは、伝統を残すだけではなく、より厚く、より深く、より鋭くカットし、新しい時代の江戸切子へつなげていくこと。

伝統文様を使いながら、完成したものは決して昔の江戸切子の再現ではない。

受け継いだ技術を使って、今の表現をつくる。

黒華と氷晶は、その二つの答えです。


鍋谷グラス工芸社「黒華」 / 「氷晶」

日本・東京|江戸切子|オールドグラス|クリスタルガラス

「美しい華には棘がある」という発想から生まれ、八角籠目と菊つなぎ、光の屈折によって華と棘を表現する黒華

そして、内被せガラスと深いカットによって、氷の結晶を表現した氷晶

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